姉妹サイト「マンガぷらっと」に掲載された漫画家の先生方へのインタビューです。一般社団法人マンガジャパン様のご協力のもと、貴重なインタビューの運びとなりました。
佐佐木あつし先生 インタビュー

プロフィール
佐佐木 あつし(ささき あつし)
1963年6月4日生まれ
漫画家。コミックプロデューサー。
株式会社エートゥシー・プロダクション代表取締役。京都市伏見区出身。血液型はO型。
1985年『あの娘はわがままシンデレラ』でデビュー。
代表作に『ぶらり鉄扇捕物張』、『ガリンペイロ』、『灰色の十字架』、『激打ちラッシュ』、『ランドセルン ZERO BASED』など。ラブコメディから歴史、ギャンブル、ミステリーなど

株式会社 エートゥシー・プロダクション
http://atoc-pro.co.jp/index.html
インタビュー日:2020年1月28日
インタビュアー:アイピープラットフォーム 菅
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今日は、マンガジャパン正会員であり漫画家の佐佐木あつし先生にインタビューさせていただきます。今日は、お忙しい中弊社にお越しいただき誠にありがとうございます。 早速ですが、インタビューを始めさせていただきます。 |
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漫画家になろうと思ったきっかけと時期は? |
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物心ついたころそうですね、小学生の3,4年生のころから自分は漫画家になるんだと決めていたというか漫画家になれると信じていましたね。とにかく漫画を描くのが好きでそうなれると思っていました。 |
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実際にストーリーをつくり作品として描いたのはいつのころですか? |
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中学2年のころから出版社に投稿していました。たまたまですが「リボン」に投稿した作品が「Aクラス」評価をもらいまして、これで、自分は漫画家になれるんだと確信に変わりました。怖いもの知らずって言うやつですね。(笑) そんな勢いも手伝って少年サンデーにも投稿したら最終審査まで行って、後は賞をもらうだけだと信じて疑うこともなく待っていたら見事落ちました。ショックでしたね~(笑) 今でもその時のショックは忘れられないですね~、でもそれがあったから次のステップにも行けたんでしょうね・・・(笑) |
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デビュー作はいつ頃、どんな作品だったんですか? |
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21歳の時に単品の読みきりで講談社から「あの娘はわがままシンデレラ」という作品です。まだ、青年誌が少なかった時代ですからその頃は少女漫画をかきたくて一生懸命描いていましたね。デビューは通過点であり好きな漫画をこれで描けるようになるんだと思っていましたね。 |
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先生は、漫画家でありながらコンテンツプロデュースの仕事を早くからされていたとお聞きしますが・・ |
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そうなんです。ある時、あおきてつお先生から連絡があり、忙しいので手伝ってくれと、アシスタントではできない漫画家である自分が要請されてお手伝いで描いていました。 その時、あおき先生から言われた「漫画を完結してしまうと次の連載が決まるまでは漫画家はプータローと同じだ、一緒にやらないか?」と誘われてしばらく一緒に仕事をしていました。 そこで、様々な企業からの要請で漫画を軸にしながら当時はやっていた「CI(コーポレートアイデンティティー)」「VI(ヴィジュアルアイデンティティー)」「キャラクター作り」などデザイナーが行っていたようなことを漫画家としていち早く取り組むことができました。 そのあと、9年前に独立して今の「AtoC」という自身の会社を立ち上げたんです。 企業用のアド漫画や企業漫画が得意なのはそのあおき先生と一緒に仕事をしていたときに培った経験があったからですね。 |
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現在は、手描きとデジタルではどちらが主流でお描きになっていますか? |
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どちらでもおかげさまで描けるのですが、今はデジタルが主流ですね。特に企業からの要請で描く漫画はデジタルの方が多いですね。丁度、私の年代が手描き派とデジタル派と別れる分岐の年代なんです。いまは、ツールの進化が大きく進んで、作業効率は何倍も上がっていますから。 |
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今後の漫画家に求められるものは? |
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そうですね、器用さとマーケティング力でしょうかね、好きなものを描くというのは基本ですがおかげさまで企業、社会から求められるジャンルや内容は広がっていますので、プロダクションとして様々な要望に対応していくには、自身が市場を見極める目が必要だと思いますね。今の若い方々は漫画を描く技術は高いので広く、ニーズに応えられる目を持つことだと思います。 漫画家であってもアニメで作られような、チビキャラであったり、漫画誌に掲載されるものだけではない作品も沢山ありますので、繰り返しになりますがマーケティング力なんでしょうね。 |
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今後力を入れていきたい領域は? |
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好きなものを描きたいというのは基本ですが、自分で会社をやっているとスタッフも食べていける継続的な仕事のベースは必要なのでアド漫画(企業用)、企業用のキャラクター、企業漫画などは積極的に行っていきたいですね。多分、漫画家は漫画しかかけないと思われていて、そんな相談をしてもいいのか?企業側がわからない、知らないというのが一般的だとお思います。 ですので、「マンガぷらっと」のようなコンテンツを作品と、作家の両面からプロデュースしていくようなことは個人的には私の発想とも大変マッチングしていますね。是非、面白い仕事を漫画家たちにプラットフォームを通じて仕事を作ってください。(笑) |
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今後の出版業界の変化についてはどうお考えですか? |
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ご存知のようにamazonの台頭で出版業界も大きく変わってきています。電子化が進み、SNS等で漫画家が自由に作品を発表できる場が昔よりは増えています。ですので、好きなものを描きたいという意味では昔より自由に描くことができる時代になっています。ですので、出版社の契約形態も全てを出版社に預ける形態から作家自身が判断をして、選別できるようになる分ひょっとしたら面白い作品が契約上管理ずにSNS等から生まれる可能性も膨らんでくるんでしょうね。そういう意味では間違いなく時代は大きく変わってきています。(笑) |
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一般社団法人マンガジャパンについて一言お願いします。 |
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それこそ、こちらがよろしくお願いします。漫画文化の繁栄と漫画家の世界交流、と文化交流活動が主流であります、マンガジャパンをピックアップしていただき様々な外部企業とのコラボで楽しい、面白いことを国内外へ発信していきたいですね、そのための協力は惜しみませんよ。 |
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最後に先生の今後のビジョンを教えてください。 |
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引退をすることは基本考えていません、ず~っと「漫画家」でいたいので会社を維持し続けることで発表の場を作り続けることができるので、楽しい仕事ができるという構造を維持していきたいですね。 |
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本日は、ありがとうございました。 |

三浦みつる先生 インタビュー

プロフィール
三浦 みつる(みうら みつる)
1954年11月25日生まれ
漫画家。神奈川県横浜市中区本牧間門出身。血液型はO型。
代表作に『The・かぼちゃワイン』など。
インタビュー日:2020年1月29日
インタビュアー:アイピープラットフォーム 墨村
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漫画家になろうと考え始めたのはいつ頃ですか?背景などもお聞かせください。 |
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それこそ子供のころから(小学生)漫画家になりたいと考えていました。月刊誌が主流で、まだ週刊誌がなかった世代なので月刊少年、冒険王で育ちましたので漫画がまだ認知されていない時代でしたけどその頃から「漫画をよんだら馬鹿になる」と言われた時代でした。ですので、よけい反骨精神で陰で一緒運命描いていました。(笑) 漫画の原稿の描き方も分からない時期でしたがに描き始めていました。 特にバイブルとしていたのは石ノ森章太郎先生の「マンガ家入門」でしたね。。独学でしたけど、一生懸命みてよりどころにしながら一生懸命描いていましたね。その頃、各漫画誌で新人公募も行われていたので一番最初に応募したのが「りぼん」新人漫画家対象に応募したのきっかけでした。入賞はできませんでしたが・・笑 でも、その作品を描き上げたことで、自分でも漫画家として歩むことができるのではないかと自信につながりました。 |
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少女漫画からのアプローチだったんですか? |
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少女漫画「サインはV」など男性が描く、少女漫画が多かったんですよ。少年漫画はその当時大御所の先生ががっちりと領域を確保されていたので新人が入る隙間が無かった時代でした。 恋愛にあこがれていた時代でしたし、多感な時期でもありましたので想像力を膨らませて、疑似体験が漫画でできると楽しみながら描いていました。 このころから少年ジャンプ、少年チャンピオンが創刊されてきて隔週、週刊に変わってきて沢山の新人が可能性を広げることができました。さらに大御所の先生方も新たな少年誌にはいませんでしたのでチャンスと思い月例漫画賞等頻繁に公募をしてましたので必死で描いて応募していました。 佳作までは行くんですが、入選できずにいました…この時期が自身の壁でしたね。 |
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この時期から手塚先生のアシスタントになられたんですか? |
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そうなんです。たまたま少年チャンピオン「ブラックジャック」の欄外に、アシスタント募集の公募がありましてきっちりと先生について一から勉強しよう!!と思い、応募しました。 子供のころからのあこがれの先生ですかね、こんなチャンスは無いと思いました。 そこから、アシスタントは2年しかいませんでした。21~23才の時にアシスタントになり2 年と決めて修行積みました。その2 年でダメなら趣味で漫画を描いていこうと覚悟を決めていました。 当然、アシスタントの傍ら、独自で寝る間も惜しんで作品を描いて少年マガジンの出版社に持ち込んで常に、見てもらっていました。この当時の編集者は作家を育てることにも真剣に向き合ってくれていましたから・・。 |
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新人漫画賞(大賞)をおとりになったのはこの時期ですか? |
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そうなんです、大々的に公募を始めたのでその時に新人賞を取ることが出来たんです。 その時の作品が「もしもしこちらは・・・」SF ファンタジー漫画で少年マガジンで本格的な連載作家デビューをしました。それを機に、独立してプロとして漫画家スタートを切ることができました。 |

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その後は順風満帆だったんですか? |
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そんなことはないですよ。ですが依頼があって漫画を描く仕事としては最初に「ハウス」という映画のコミカライズを要請されたんですね。25 歳の頃でした。 マガジンでも2 回ほど連載はしたんですが長続きしませんでした。 その頃、柳沢きみお先生の「翔んだカップル」、「うる星やつら」等が大変人気があり、編集者の方々もSF よりもラブコメの時代ではないか?と意見が多くあり描き始めたんです。 |
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SF 作品は頭からはなれてしまいましたか? |
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プロとしての漫画家は、依頼がきて作品を納品してお金をもらう。これがプロ作家の基本だと思っていましたから違和感なく、ラブコメを描いていました。苦手なテーマは引き受けないこともありましたが、割り切っていました。その頃からアシスタントも使って会社にしていましたからね。 |
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代表作の「かぼちゃワイン」は何作目だったんですか? |
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連載活動を始めてから3 作目ですね。編集者に大変助けられました。親身になって取り組んでくれましたからね。特に私はラッキーでしたし育ててもらいましたね。でも、ラブコメでこんな評価、人気が出るとは思っていませんでした。 |
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これからの時代は、若い漫画家の人たちについてはどう思われますか? |
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我々の時代は紙媒体しかありませんでした。雑誌に載らなければプロの漫画家にはなれませんでした。 今の時代は個々人が好きなものを描いて好きなように発表できるツール(SNS 等)を持っています。そういう意味では多様化した時代で、飛び出せるチャンスは我々の時代よりも何倍も可能性があると思いますよ。時代の話をしても仕方ありませんが一つだけ物申すとすればハングリーではない、ということでしょうかね?自分が好きなものを描いてあたる・・・・そういう意味では、依頼元から要請されて漫画を描き、納品してお金をもらうという流れにはなかなか結びつかないのかもしれませんが・・・どの時代も壁はあるということですね。 |
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今後の漫画作りはどのように変わっていくおでしょうか? |
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デジタル化が進みましたから、個人で描いてamazon やその他のサイトにあげることができる時代です。 環境に合わせた作り方、描き方が求められます、表現方法が変わりますからね。誌面でみせる描き方と縦、横スクロールでコマ単位で表現をする時代ですから比較にはならないかもしれませんが、末端のハードとソフトに順応していく力が必要なんでしょうね。 |
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先生は2 年前に漫画家人生に終止符をうって絵本作家になると宣言をされましたがそれは何が転機だったんですか? |
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以前から決めていたんです、60 歳で漫画家を引退して絵本作家になり、すきなものを描き続けたいと思っていましたから、今はまた一から勉強していますよ。結構、描きためています。(笑) 未だ、絵本の出版社は決めていませんが、出来上がってから営業活動をしようと思っています。今の段階で出版社に持ち込むと、出版社の意図で方向性が変わってしまう可能性があるので描きたいもの、満足するものを描き上げてそれを取り扱っていただける出版社と組みたいと思います。 |
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さすが、信念があると強いですね。 ところで、漫画連載等には終止符を打たれましたが他は一切受けないということではないですよね? |
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もちろんです。アド漫画や、キャラクター制作、その他講演活動など私にできることは受けられる範囲でやっていくつもりですよ。是非、そんな企業からの要請がありましたら、お話をください。単発的な仕事かもしれませんが、常に新鮮な気持ちで仕事ができますのでありがたいです。 昨年末には、海外からキャラクター制作の要請があり、オリジナルキャラクターを描きおこしました。公開(一般に)できずに申し訳ありませんが、大変でしたけど楽しかったです。 |
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では、マンガぷらっとなどから相談、要請がくるのは喜ばしいことなんですね? |
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勿論です。漫画連載制作はやりませんが、単発の要請であれば過去のキャラクターの二次使用も可能ですし、広告塔として使用していただく事も私の判断で許諾ができるものも多数ありますので是非、活用してください。それが、自身とクライアントとマンガジャパンのためになることであれば積極的にお受けしますよ。 |
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特に受注したい仕事の領域はありますか? |
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こちらからは、特にないですがなんでも相談していただければいいんです。勿論、無理なものは無理と返事をしなくてはなりませんが、企業と漫画家のコラボでできることはたくさんあると思いますよ。マンガジャパンにはそういった先生方が多数居ますので、まずは、相談事として持ち込んでいただければ私にできないことでも他の先生方ができることも沢山ありますので。 例えば、町おこしの企画、講演活動、イベント等への参加、漫画塾的なこともNET でできる時代ですから我々のような一応、経験豊富な先生方もいますので次の時代へ継承できるものも沢山あるはずです。うまく、活用してください。一緒に日本の漫画文化を盛り立てていきましょう。 |
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本日はインタビューに長い時間お付き合いいただきありがとうございました。 公表できないエピソードなども沢山お聞きできましたが、公開できないのが残念です。(~_~;) |