三浦みつる先生 インタビュー

三浦みつる先生 インタビュー

三浦みつる先生

プロフィール
三浦 みつる(みうら みつる)
1954年11月25日生まれ
漫画家。神奈川県横浜市中区本牧間門出身。血液型はO型。
代表作に『The・かぼちゃワイン』など。

インタビュー日:2020年1月29日
インタビュアー:アイピープラットフォーム 墨村 IPP 墨村


IPP 墨村 漫画家になろうと考え始めたのはいつ頃ですか?背景などもお聞かせください。
三浦先生 それこそ子供のころから(小学生)漫画家になりたいと考えていました。月刊誌が主流で、まだ週刊誌がなかった世代なので月刊少年、冒険王で育ちましたので漫画がまだ認知されていない時代でしたけどその頃から「漫画をよんだら馬鹿になる」と言われた時代でした。ですので、よけい反骨精神で陰で一緒運命描いていました。(笑)
漫画の原稿の描き方も分からない時期でしたがに描き始めていました。
特にバイブルとしていたのは石ノ森章太郎先生の「マンガ家入門」でしたね。。独学でしたけど、一生懸命みてよりどころにしながら一生懸命描いていましたね。その頃、各漫画誌で新人公募も行われていたので一番最初に応募したのが「りぼん」新人漫画家対象に応募したのきっかけでした。入賞はできませんでしたが・・笑
でも、その作品を描き上げたことで、自分でも漫画家として歩むことができるのではないかと自信につながりました。
IPP 墨村 少女漫画からのアプローチだったんですか?
三浦先生 少女漫画「サインはV」など男性が描く、少女漫画が多かったんですよ。少年漫画はその当時大御所の先生ががっちりと領域を確保されていたので新人が入る隙間が無かった時代でした。
恋愛にあこがれていた時代でしたし、多感な時期でもありましたので想像力を膨らませて、疑似体験が漫画でできると楽しみながら描いていました。
このころから少年ジャンプ、少年チャンピオンが創刊されてきて隔週、週刊に変わってきて沢山の新人が可能性を広げることができました。さらに大御所の先生方も新たな少年誌にはいませんでしたのでチャンスと思い月例漫画賞等頻繁に公募をしてましたので必死で描いて応募していました。 佳作までは行くんですが、入選できずにいました…この時期が自身の壁でしたね。
IPP 墨村 この時期から手塚先生のアシスタントになられたんですか?
三浦先生 そうなんです。たまたま少年チャンピオン「ブラックジャック」の欄外に、アシスタント募集の公募がありましてきっちりと先生について一から勉強しよう!!と思い、応募しました。
子供のころからのあこがれの先生ですかね、こんなチャンスは無いと思いました。
そこから、アシスタントは2年しかいませんでした。21~23才の時にアシスタントになり2 年と決めて修行積みました。その2 年でダメなら趣味で漫画を描いていこうと覚悟を決めていました。
当然、アシスタントの傍ら、独自で寝る間も惜しんで作品を描いて少年マガジンの出版社に持ち込んで常に、見てもらっていました。この当時の編集者は作家を育てることにも真剣に向き合ってくれていましたから・・。
IPP 墨村 新人漫画賞(大賞)をおとりになったのはこの時期ですか?
三浦先生 そうなんです、大々的に公募を始めたのでその時に新人賞を取ることが出来たんです。
その時の作品が「もしもしこちらは・・・」SF ファンタジー漫画で少年マガジンで本格的な連載作家デビューをしました。それを機に、独立してプロとして漫画家スタートを切ることができました。
インタビューの様子
IPP墨村 その後は順風満帆だったんですか?
三浦先生 そんなことはないですよ。ですが依頼があって漫画を描く仕事としては最初に「ハウス」という映画のコミカライズを要請されたんですね。25 歳の頃でした。
マガジンでも2 回ほど連載はしたんですが長続きしませんでした。
その頃、柳沢きみお先生の「翔んだカップル」、「うる星やつら」等が大変人気があり、編集者の方々もSF よりもラブコメの時代ではないか?と意見が多くあり描き始めたんです。
IPP墨村 SF 作品は頭からはなれてしまいましたか?
三浦先生 プロとしての漫画家は、依頼がきて作品を納品してお金をもらう。これがプロ作家の基本だと思っていましたから違和感なく、ラブコメを描いていました。苦手なテーマは引き受けないこともありましたが、割り切っていました。その頃からアシスタントも使って会社にしていましたからね。
IPP墨村 代表作の「かぼちゃワイン」は何作目だったんですか?
三浦先生 連載活動を始めてから3 作目ですね。編集者に大変助けられました。親身になって取り組んでくれましたからね。特に私はラッキーでしたし育ててもらいましたね。でも、ラブコメでこんな評価、人気が出るとは思っていませんでした。
IPP墨村 これからの時代は、若い漫画家の人たちについてはどう思われますか?
三浦先生 我々の時代は紙媒体しかありませんでした。雑誌に載らなければプロの漫画家にはなれませんでした。
今の時代は個々人が好きなものを描いて好きなように発表できるツール(SNS 等)を持っています。そういう意味では多様化した時代で、飛び出せるチャンスは我々の時代よりも何倍も可能性があると思いますよ。時代の話をしても仕方ありませんが一つだけ物申すとすればハングリーではない、ということでしょうかね?自分が好きなものを描いてあたる・・・・そういう意味では、依頼元から要請されて漫画を描き、納品してお金をもらうという流れにはなかなか結びつかないのかもしれませんが・・・どの時代も壁はあるということですね。
IPP墨村 今後の漫画作りはどのように変わっていくおでしょうか?
三浦先生 デジタル化が進みましたから、個人で描いてamazon やその他のサイトにあげることができる時代です。
環境に合わせた作り方、描き方が求められます、表現方法が変わりますからね。誌面でみせる描き方と縦、横スクロールでコマ単位で表現をする時代ですから比較にはならないかもしれませんが、末端のハードとソフトに順応していく力が必要なんでしょうね。
IPP墨村 先生は2 年前に漫画家人生に終止符をうって絵本作家になると宣言をされましたがそれは何が転機だったんですか?
三浦先生 以前から決めていたんです、60 歳で漫画家を引退して絵本作家になり、すきなものを描き続けたいと思っていましたから、今はまた一から勉強していますよ。結構、描きためています。(笑)
未だ、絵本の出版社は決めていませんが、出来上がってから営業活動をしようと思っています。今の段階で出版社に持ち込むと、出版社の意図で方向性が変わってしまう可能性があるので描きたいもの、満足するものを描き上げてそれを取り扱っていただける出版社と組みたいと思います。
IPP墨村 さすが、信念があると強いですね。
ところで、漫画連載等には終止符を打たれましたが他は一切受けないということではないですよね?
三浦先生 もちろんです。アド漫画や、キャラクター制作、その他講演活動など私にできることは受けられる範囲でやっていくつもりですよ。是非、そんな企業からの要請がありましたら、お話をください。単発的な仕事かもしれませんが、常に新鮮な気持ちで仕事ができますのでありがたいです。
昨年末には、海外からキャラクター制作の要請があり、オリジナルキャラクターを描きおこしました。公開(一般に)できずに申し訳ありませんが、大変でしたけど楽しかったです。
IPP墨村 では、マンガぷらっとなどから相談、要請がくるのは喜ばしいことなんですね?
三浦先生 勿論です。漫画連載制作はやりませんが、単発の要請であれば過去のキャラクターの二次使用も可能ですし、広告塔として使用していただく事も私の判断で許諾ができるものも多数ありますので是非、活用してください。それが、自身とクライアントとマンガジャパンのためになることであれば積極的にお受けしますよ。
IPP墨村 特に受注したい仕事の領域はありますか?
三浦先生 こちらからは、特にないですがなんでも相談していただければいいんです。勿論、無理なものは無理と返事をしなくてはなりませんが、企業と漫画家のコラボでできることはたくさんあると思いますよ。マンガジャパンにはそういった先生方が多数居ますので、まずは、相談事として持ち込んでいただければ私にできないことでも他の先生方ができることも沢山ありますので。
例えば、町おこしの企画、講演活動、イベント等への参加、漫画塾的なこともNET でできる時代ですから我々のような一応、経験豊富な先生方もいますので次の時代へ継承できるものも沢山あるはずです。うまく、活用してください。一緒に日本の漫画文化を盛り立てていきましょう。
IPP墨村 本日はインタビューに長い時間お付き合いいただきありがとうございました。
公表できないエピソードなども沢山お聞きできましたが、公開できないのが残念です。(~_~;)